潜在意識やアファメーション。いい言葉を繰り返しインプットすることで、自分をよりポジティブに変えていくことができる。
普段意識しなくても、潜在意識というものには多くの影響を受けています。
うまく習慣を定着させるにも、できればその潜在意識を良いように活用していきたい。
そう考えた時に、潜在意識が言葉をどう認識するかという原理は理解しておきたいところですね。
潜在意識の影響と認識の仕方
その言葉のイメージがそのまま入ってくる
言葉のイメージが、本当にそのまま入ってきます。
「空に浮かぶ月」と言われたり、
「ピンク色のコスモス」と書いてあったら、
もうそれがそのままイメージとして浮かんできますね。
いや、それはそうだろうという話なのですが、後述する他のルールも含めて影響出てくるところです。
否定形は認識されない
潜在意識は否定の言葉を認識しません。
「あんな風になりたくない」
そう考えると、逆にそうなってしまう。
病気になりたくないと考えたら、体調不良になってしまう。
お金に困りたくないなと思ったら、金欠になる。
そういう仕組みになっていたりします。
否定形を認識できない。
なので、否定が多い方はできれば普段の思考も、言葉の言い回しを変えていくといい影響が期待できます。
実例
川辺の張り紙「ポイ捨て禁止」
あたたかい日差しの中で、川沿いを散歩していたとします。
川沿いって、大体ポイ捨て禁止の張り紙があったりしますね。
地元の小学校が書いたのかなーと思われる、絵が描いてあるポスターです。
それを見た時どうなるでしょうか?
「ポイ捨てはやめようね」とか、「ポイ捨て禁止」といったことが
だいたい書いてあったりします。
それを見た時何をイメージするか。
「ポイ捨て」そのものですね。
想像力が豊かな人であれば、
ポイ捨て現場を目撃してしまい、「お前が落としたものだから拾いに行け!!」と相手を川に突き落とす妄想までするかもしれません。しますよね?
なので、「禁止!」とそれをやめさせようとする効果を願ってのポスターなのだけど、逆にそこに意識を向けさせてしまうという点があります。
注意喚起ではあるのですけどね。
注意喚起の張り紙
駅のホームや電車の中にも、注意喚起の張り紙はたくさんあります。
「駆け込み乗車はおやめください」
「ドアに挟まると危ないよ!」
確かに、全く意識をしないでうっかり挟まってしまう事故は、そういった表示を行うことで避けられるかもしれない。いくらか注意はできるかもしれない。
けれど一方で、逆に痛ましいケガのイメージが印象付けられてしまう…。
簡略化されたピクトグラムであっても、小指の先から血が垂れる図であるとか、
そういったイメージが入ってくるので、恐ろしい感情が刷り込まれることになる。
それは果たして、本当にいいことなのか。
何もかもにビクビクしていたら非常に生きづらくなってしまう。
そう考えると、当たり前にありふれているものにも、ちょっとどうかなと思うものがたくさんありますね。
マイナスからゼロよりも、プラスを印象付ける
さて以上をふまえて、潜在意識にいい印象を覚えてもらいたいならば。
言い回しが大切です。
まず、身体の不調について。
「病気になりたくない」は×
「病気を治したい」っていうのも、病気そのものに注意が引き付けられてしまいます。
なので「健康になる」と印象付けるのが一番良いわけです。
ストレートに、シンプルに、いいイメージをすることが潜在意識への印象付けにとって大事です。
お金について。
「お金に困らないようになりたい」
だと、ちょっと潜在意識としては分かりにくいわけです。
一番よく言われるのは、具体的に欲しいものを「アレがほしい!」と願うこと。
入手のきっかけが得られたり、ちょうどその金額が入ってくるなんていう話はありますが、
それはすごく具体的だからこそでもあります。
マザーテレサの言葉「反戦ではなく平和」
マザーテレサの有名な言葉のひとつで、
「戦争反対のための運動には参加はしないけれど、平和のための活動だったら協力したい」
という旨のものがあります。
反戦という風になると、反対するという活動ではあるのだけど、意識としては戦争に向いている。
解決すべき問題としては確かにそれもそうなのですけれど、
着地点が「平和にすること」「戦争を失くすこと」はそれぞれ別になります。
また、エネルギー的な観点から言っても、戦争に感心やエネルギーが向いてしまうと。
だから、そちらに意識を向けるよりも、平和そのものを願うほうがよいということです。
案外「平和」って想像できない
ですが、ここでひとつ問題がありまして。
何かを願うということは、願った時点では持っていないことが大半かもしれません。
例えば、病気を治して健康になりたい人によっては、生まれつきの体質だったこともあって、まず健康である状態がイメージできない…。
そういう方も一定数いると思います。
お金持ちのイメージにしても、とりあえずイメージできるものといえば高級車やマンション…であるとして、実際にそれ本当に欲しいのか?という具合です。
自分にとっての幸福な姿や豊かさのイメージが具体的でないからですね。
また、戦争ではなく平和と思っても、平和というものそれ自体の想像って、案外とできないものです。
なんだかふわっとしてる感じになっちゃう。
そういう時こそ、身近で素朴なことを考えるのが、想像しやすくするという点でいいのかもしれません。
例えば、一緒に食卓を囲んだり…
異国の者同士が自分の国の料理を一緒に食べての異文化コミュニケーションをする姿だとか。
公園のベンチにお隣で座って日向ぼっこをしているとか。
そういう想像してみる。
ひなたぼっこは仲良しなのかと、そういうのはちょっとさておきです!
そういうイメージをちょっと想像してみたり、
瞑想する習慣ある方は少しそういったイメージをしたりする。
ひとりひとりの考えが集合意識的に影響があると言うのであれば、より良いもの、美しいものに焦点を合わせていく。
そういうのは、ささやかながらも、なにか良い影響があるんじゃないかなと思います。