断るのが後ろめたいのは何故?

ココロのコツ

いい人でいるのをやめよう。
ちゃんとNoと言える日本人になる。
自分の大事にする。

だんだんそういう風潮が出てきたのはとても良いことだと思います。そもそも強要する人自体が少なくなってきましたね。
それでも、どこか断るのが後ろめたく感じてしまう…。
それはどうしてだろう、今回はそんなお話です。

OKするのを前提に考えてしまう=自分の時間やお金が削られることが前提になっている

断ることに後ろめたいと感じてしまうのは、快くOKという返事をするべきだということを前提に考えてしまっているような気もします。
いいよと返事をするのが当たり前。
頼んできた方もいい返事を期待して言ってきているのになーと考えたりする。

でも時に、その提案を受け入れることは、自分の貴重な時間やお金が削られることになる場合もある。
そういったことも踏まえて、それでも前提になってしまっている。そういうのはどうなんだろう?と。

したいからやっていて、その方が後悔がないならOK、

自分にとって、断らないで引き受けるのが良しとするのであればもちろん構わないと思います。
そういうふうにするのが自分の信念であるとか、相手が好きであるから、したいからやっている、など。
後悔がない方を選んでいく。
どんな理由でも、自分が納得しているのならOKだと思います。

「何故?」を繰り返す

そもそもどうしてそんなに後悔してしまったり、モヤっとしてしまったりするのだろうか。
気乗りしないことなのに、断るのを申し訳ないと思ってしまうのか。
申し訳ないと感じている自分自身に対して、違和感を覚えていることさえあるかもしれない。

その根っこにある理由って、人によってどこから来ているのかは様々だと思います。

ずっといい人で居続けたから。
それが当たり前だと思っていたから。
周りがやっていることだから。
自分のやりたい方向性の軸がまだ定まっていないから。

なんでだろうと考えてみて、さまざま理由はあれど、ひとつ挙げるとするならば、
自分自身の軸が定まっていない、だから外側を優先させすぎてしまうことにもあるかもしれません。

本当にそうなのか?と思えればしめたもの

考えるうちに、本当にそうなんだろうかと思えればしめたもので。
条件付けや先入観というものが隠れているのかもしれません。
意外と普段の行動としては意識していないのだけど、幼い頃に親に言われたことや環境の影響は深くものです。
これは言葉でよく言われていることですし、頭では理解しているけれど、よくよく問い直して実感してみると、かなり無意識に入り込んでいるのに気がつくかもしれない。

おわりに:自信のなさには条件付けや先入観が隠れているかもしれない

まずは気がつくのが第一歩。
ツルツルな表面の氷の壁を登ることはできないけれど、そこにピックを入れてとっかかりを作る。
なぜだろうと自分に問いかけるのは、きっかけを作るのに役立ちます。

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