TVは家族を幸せにしない箱だった

ココロのコツ

テレビとの付き合い方

世代によってテレビというものに対してどういう印象を抱いてるかは、相当変わっていると思います。
戦後の方々にとっては、テレビはものすごく新鮮なコンテンツであり、テレビが食卓の中心で、憧れの存在だった世代もあったりしたわけですね。
だけど、今の20代以降の若い人にとっては、生まれた時点ですでにインターネットがあるのは当たり前。そういう意味ではテレビというものは必須ではない。
そんな違いなんかもかなり出てきていると思います。

選択の主導権と自分の気分を良くすることを選べればよかった

動画もテレビも似たようなものだと考える方もいるかもしれません。
違いとして、動画の方がより意識的に自分の見たいものを指定しているという点があります。
かわいい小動物の動画を見るといった目的があって、検索して、初めてヒットする。

だけど、テレビの場合はある程度局による番組というものが決まっている。
その中から、見たいものを見る、あるいは録画するなりする形になります。

テレビだってチャンネル変えられるし、見たくなければ消せばいい。
それは当然の考えです。
ただ、テレビがつけっぱなしであることに慣れている世代の方にとって、
見たい番組がなくても惰性で見ていたり、文句を言いながら見ていたりすることがあるのです。

習慣的に存在しているのが当たり前になっているからなのだろうけど、
正直なところ、子供心ながらに楽しくなさそうな事をしているなと感じたりもしたものです。

・子供の頃のテレビの印象について

子供の頃、テレビというものの印象の良くなかった点がありました。

まず食卓にテレビがあったこと。
食事時に家族同士でも向き合って話すでもなく、視線の先にテレビにが中心になっていることに違和感がありました。

テレビの内容に対して何か喋ったりする際にも、他者を笑ったり、ツッコミのようなダメ出しのような物言いをしたりしている。
テレビは娯楽でエンターテインメントだという認識だったのですが、
それなのに、どうも身近な見ている側の人は全然楽しそうなことを感じて、喋っていないように思えた。

ここは見る側の個人差もありますが、ある程度番組による傾向はあるでしょう。
インターネットが既存の世代にとっては、あまり見るメリットが薄いところまで来ているのがひとつの答えとして表れているように思えます。

そんなこんなで、私自身は小学校ぐらいまででテレビの番組というものを見るのは最後になりました。
主なテレビの用途は家庭用ゲーム機のための箱です。
番組が映る方のコードは不要なので抜いて使っていました。
電気の消費の面でも使わないコードは抜くといいですよね。

チャンネルを変える=自発的に見るものを選べるということ

このテレビ的な例えとして、チャンネルがすごくわかりやすいものになるでしょうか。
「自発的に自分が見るものを選べる」というニュアンスになります。
あくまでテレビの中でという話になりますが、意識の切り替えや物の見方も変えられるよという意味合いです。

チャンネルは変えていい。
そしてテレビを消してもいい。
つけっぱにしなくていい。文句を言い続けなくていい。

これはテレビそのものに対してではなく、
目の前の事象に対しての例えとして、覚えておくと心に選択のリモコンを取り戻せるのかもしれません。

選べるのだと知らない状態のこともある

子供の頃や、与えられたばかりだったり、初めての時は、自発的に選べる選択肢があることを知らなかったりする。
自分で決めていいことってたくさんある。
そこに気づいてからどうするか。
大人になることも、自分軸も、全部そこに気づくことからがスタートなのかもしれませんね。

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