バイトや校則、ルールがもたらすささやかな罪悪感の罠

ココロのコツ

人は生きているだけで「なんとなく悪い気がする」という気持ちになる時がある。
罪悪感。
なんとなくなので非常に掴みどころがなく、それでいて足を引っ張る非常に厄介なものですね。
誰かに何か言われた覚えがなくても、自然とテレビや学校や会社の制度などを見聞きしているうちに気がついたら…なんてこともある。
今回はそんなささやかに積み重なった罪悪感を見つけていくことにまつわるお話です。

校則を守る子と破る子

良くも悪くも、学校教育による影響というものは非常に大きいです。
最高に楽しい生活を送れた人もいるし、非常にしんどかったという人もいる。
ほどほどに楽しくやれた人もいるし、大人になっても付き合いのある友人が学校時代からこともあるでしょう。

学校で校則を守るタイプの子と破る子。
それぞれいると思います。この記事において、どちらが良い悪いといったことはないです。

守るタイプの人からすると、なんでわざわざ制服を改造して怒られているんだろうとか思うわけで。
逆に、破るタイプかの人からすると、何で従う必要のないルールに律儀に従ってるんだろう、なんて思っていたりするのかもしれない。

校則の中のひとつに、バイトの許可あるいは禁止があります。
学校によってどれくらいの高校生のバイトOKなのかを書いている人は知らないのですが、禁止されていてもやる人って当然いるものですね。これもどちらが良い悪いといったことはないです。
いろいろ考えや事情はあります。
家庭事情であらかじめ許可をもらっている場合もあるかもしれません。

私の通う学校では当時アルバイトは禁止でした。
別のクラスの〇〇さんがティッシュ配りのバイトをこっそりやっていたーなんていう話を聞いたりしたことはあります。

欲しいもののためにバイトするのはとても健全

先ほども言ったように、やらない側からすれば、禁止されているのになんでやるんだろう?と思うかもしれない。
でも、バイトしてる側にとっては事情は色々あるかもしれないですが、もう純粋に「欲しいものがあるからお金を稼ぐ」っていうのは健全な考え方だと思うのです。

欲しいもののために自力で動いている。すごく真っ当ですよね。むしろその行動力は褒めるところ。
ご両親の方針でちょっとお小遣いをくれないタイプの家庭だとか、事情は色々あるのかもしれませんけど、やりたいからやるのであれば、非常に健全なことだと思います。

周りがしているから、だと本心じゃない

もう一方で、
「周りの子たちがバイトしてるし…」
「社会経験的にもバイトしなきゃなぁ」
なんて気持ちや状態でするバイトはだいぶ後ろ向きで、あまり本心ではないような気がします。

それはそれで働いたら働いた分のお金にはなる。
何かしら出会いはあるかもしれないし、経験も積める。
結果的によかったと思えることもあるかもしれない。

でも、その動機は本心じゃないわけですね。やりたいことではない。
自分の心を裏切った行動や考えは、実はこっそり負債になったりする。

思えば、ルールは時に罪悪感を植えつける仕組みになっていた

さて、以上を踏まえて「学校で禁止されているからバイトをしてはいけない」というルールを思い出してみる。
禁止する学校側の意図もわかるけれど、その制度によってなんだか自然と罪悪感を抱いてしまう余地があるかもしれない。

これは稼ぐ側のあえて校則を破ってアルバイトをした子は「ルール違反をしている」気持ちになるし、
校則を守っている子は「あの子はこっそりバイトをしていて良くないことだ」と思うかもしれない。

こんなことでも、罪悪感を植えつけてる一端になることもある。
知らないうちにこういったものが積み重なって、例えばお金を稼ぐことに対する何かしらのブロックになってしまったりすることもあるのだなと思ったりしたわけです。

おわりに

今回の話はちょっとしたひとつの例。
結構過去を思い返してみたり自分の価値観にとって、なんでそういう風に思うようになったんだっけ?と考えてみると意外と過去のいろんなことが出てくる。
そんなことで?と思うような些細だったり、笑ってしまうような内容も出てくるかもしれませんね。

はっきりと抑圧、支配された覚えはないと思いきや、
わかりやすい否定じゃなかった分、意外とスルッと信じてしまった罪悪感や価値観なんかがあったりするかもしれません。
そういうものを改めて見つけてみると、少しずつ軽くなっていて生きやすくなってくるんじゃないかなと思います。

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