「良い」と思っている価値観が時には邪魔になる

ココロのコツ

よかれと思って、正しさで積み上げたもの

あの人のああいうところは素晴らしい。この方が絶対正しい。
良かれと思って、自分を向上させようとしていい価値観をたくさんを身につけていく。勉強家や努力家であるほど、たくさんネットでコツを調べたり、本を読んだりしていきますね。

逆に、30歳までには結婚すべきだなどと他人に余計なことを言われて、「そんなものはお断りだ」と思った。
そんなふうに、反面教師的に自分が望まない価値観を知ったり、拒絶したりする。
自分はそういうこと言わないようにしようと思ったりもする。
ちょっと嫌な気分になる時もありますが、考え方の違う人と接していく上では起こり得ることです。

けれど、その積み上げてきた、自分をより良くしてくれるはずの価値観のせいで、うまく動けなくなったりすることもある。
いいと思ったはずのことで、別の何かを裁いたり、抑圧したりしていないだろうか。
今回はそんなジャッジや抑圧のお話についてです。

良かれと思った妨害・その1「ジャッジ」

違うもの、そぐわないものを否定するジャッジ

ジャッジとは少なからず誰しもやっていることです。
服装を見ては、カジュアルフォーマルなどのTPOや好みとは別に、かっこいいかどうかっていう観念が出てくる人もいる。
全く気にしない人もいるし、
すごく気になる人もいるし、
メッタメタにダサいと言いまくる人もいるし、
職業病の人もいる。

ジャッジって言っても、内容から程度までいろいろあるとは思います。
今回の話では、自分自身を楽にするために、
自分が良くないと思っているものを否定してしまうジャッジについて焦点を絞ります。

「これが正しい」と思うことで、それ以外のイマイチだったり良くないものができる。
「それもいいよね」と思えれば問題ないのだけど、違うものを否定してしまう。
よく言えば、こだわりが強くて否定してしまう時がある。
そういう時は、自分自身の価値観とジャッジに苦しめられている状態なのでしょう。

良かれと思った妨害・その2「意識の注目の仕方」

「ああなりたくない」と思ったものになってしまう

ああいう人にはなりたくない。
祖父のように頑固になりたくない。などなど。

そんなふうに思っていると、不思議と同じようになってしまっていたという話を聞いたり、認めたくないけど実感したりする事ってあるかもしれません。
それは結局「これはなりたくない」と思うことで、そちらに意識を集中している。

戦争反対と平和は違う。
潜在意識は否定形を認識できない。
だから意識が集中するのは平和ではなくて戦争のほう、という理屈です。

抑圧・分離されたものはひとつになろうとする

もう一つは分離されたものがひとつになろうとしているということ。
感情に蓋をしてはいけない。いつまでも固まって、留まり続けてしまうとはよく言われます。

「食べてはいけない」と思うと、逆にそれが食べたくなる。
心の仕組みとして、拒絶されたものはひとつになろうとするようなのです。
「どうして捨ててしまうの?」と。

禁止されるとやりたくなる。
我慢してると爆発する。
抑圧してると他人が羨ましくなってイラッとする。

そして、結局自分が嫌だと思ったものに近くなってしまうわけですね。

これを回避して、スムーズに望む方向へ移行するためには「禁止しないこと」が鍵になってきます。
してもいいし、しなくてもいい。
自分に選択の幅を許していくのがオススメです。

おわりに

心や潜在意識の仕組みというのは本当に不思議なもので知っていないと まず知っていないとその思考の癖を意識することができない。
逆を言えば、意識することができれば「あ、今そう思ったな」と歯止めをかけることができる。
すぐにぴったり止めることができなくても、意識しないでずっと繰り返し何度も思っているよりもよっぽどいい。
ジャッジや抑圧を手放して「それもいいよね」を選べることは、徐々に楽になっていきやすくなってくる考え方のコツになります。

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