自分にとって、アトピーは何のためにあったか?

セルフケア

考え方は自由!の元で、これは後から解釈していく記事

今回はちょっと個人的な内容です。
長いこと生まれつきのアトピーを経験して、色々な考え方を経たりしてきたわけですね。
純粋に症状がしんどかった時期もあり、面倒な症状ではあるけれど病気でいる状態にも意外とメリットあるものなのだなと思っていた時期もある。

ここは本当に解釈の問題。
そして解釈というのはかなり自由度のある領域。
何か病気になってしまうことを偶然、遺伝、体質によるものだと思ってもいいし、そこに何か意味があるのだと思ってもいい。
単純に生活習慣の問題だと捉えて、出来る限り正しい知識を身につけて改善するも、その辺りは様々でOKです。

今回ここで書くのは、考え方の選択、好意的解釈の領域。
偶然派にとっては、意味を見出すことで過去を美化する考え方とも言えなくもない。
でももしかしたら辛い考え方に捉われて動けなくなってる人にとっては、ちょっと別の解釈もあるという幅になったりもするのかもしれません。
が、基本的にはただ思ったことを書きます。

経験を直接職業・活動に活かす形ではない

例えば、職業としてセラピストや自然食品などを取り扱っている方の中には、過去に自分が病気の経験をした場合があります。
その経験を活かして、時には誰かを助けたくて、今後自分の職業にして活動にしたり、役立てていくっていう人も少なからずいらっしゃいます。

ただ私にとってはそういう考えはありませんでした。

セラピストの技術の一環としてセッションを行う、そういうこと自体は実はしていたことはあるのですが、
誰かを救いたいという意図があったのではなく、単純に手法がその手法がなかなか面白いものだったので面白いことやって遊ぼうぐらいな気持ちでした。
実際に面白そうだからという理由で受けに来る方が対象だったので、そこはマッチしております。

自分自身がそのように心身の健康に影響することを職業や使命にしようなんて考えなかったのには、
まぁ元々他にやりたいことがあったというのが大前提になります。

その上で、なんのためにこの特性があったのかを考える

その上で、じゃあ何でこのちょっと人より肌が敏感だったりするような体質があったのだろうかということについて考えていきます。

当然出てくる偶然や遺伝の影響については、今回の記事の趣旨としては外していきます。
今回の内容は、あえて意味を見出していくコンテンツだからですね。

ここで活用する視点は、「自分にとって病気を持っていたことによって、どんなメリットがあったか」ということです。

例えば、なんか怖いと思っていることをやらなくて済むという面があったりだとか。
病気ってしんどいものなのに、そのはずなのですが、病気であることに対して実は本人も気づいていないメリットがあったりする。
そもそも病気とは表面化したものでしかなく、根っこにちゃんと原因があるわけです。
その理由には普段の生活習慣や、心の持ち方がある。実は体質という言葉では片づけにくいものがあったりする。

冒頭でも述べましたが、この辺りは本当に解釈の領域です。

自分にとって何のためにあり、どんなメリットがあったか?

1.自分に注意を向けろというメッセージ

自分の体のかゆみや痛みなどが気になってしまう。
それ自体が、自分自身に目を向けろと注意を受けるとメッセージだったような気もします。

「自分に目を向ける」って改めてよくよく考えると、
普通に生きていると、自分自身の本音や本当はどう感じているのかを忘れて忙しい日々を過ごしてしまいがちなのです。

そういう意味で、肌に不調があると気になって限界が訪れるまでが早い。
好きなことじゃなければ集中力が続かないし、不快な場所には長くいられません。
自分が本当に好きなものでないとすぐに集中力切れちゃうんじゃないかなって思ったりもします。

外に惑わされにくくなる。

自分の肌が気になって、他人のことにかまっている暇がないです。
ブランドを持つことが他者へのステータスになるという話は、お金や成功、他者との比較の話題例としてよく出るのですが。
もろもろの体液で服を汚してしまう状態だった身としては、そんなものどうでもいいと。
オシャレに関してもそうですが、優先度は美容の前に健康なわけです。
外の情報のほとんどが自分に必要のないものと割り切れるのは早かったです。

2.肌感覚が敏感

肌の感覚が敏感であることにより、純粋にあまり健康を害すような環境に長くはいられなくなる。
必然的に。埃っぽい所よりも綺麗な所が肌感覚でわかるくらい過ごしやすい。
ハウスダストや花粉もアレルギーの対象なので、最初から体が合わないとわかっているから良い環境に身を置くことが選択肢になってくる。
埃っぽい以上に、喫煙所の側に行くとものすごくわかりやすく痒くなります。
タバコに対してまったく悪い感情は持っていないのですが、これは体の都合で避ける形にしていますね。

無頓着でいられることも便利なことです。
一方で、最初から自分が避けるべきものをわかっているのも、またこれはこれで便利さがあります。

そして知らない間に限界ギリギリまでに体調を悪くしてしまうということはあまり多くない。
体調不良になるまでのキャパが短いので不便ではあるんですが、重症・急性病にはなりにくい。
急に倒れるよりは、小出しになってるような感じです。

そこをメリットと捉えるか、デメリットと捉えるかは、好みと解釈の領域かもしれません。
本人のライフスタイル、どう暮らしたいかに照らし合わせて、てかなり変わってくるのところかもしれませんね。
私は在宅での作業が苦にならずドンドンできる方なので、敏感肌はメリットに解釈できています。

3.病気への向き合い方をよく考えた

これはアトピー、アレルギーに限らず、様々な病気全般に対して言えることなのかもしれません。

分離ではなく受容の意識。
「病気やだー!」と反発・拒絶するのではなく、「お身体いつもありがとうね」とよしよししていく気持ち。

慢性病の場合は長く不調が続いて、「どうしてこうなってしまうんだろう」「いつまで続くのだろう」と辛くなるものです。
じわじわと不快感あり、疎ましくて仕方がないのだけど、でもずっとその疎ましいと思ったままで治るかっていうと、その考え方だとうまくいかないものなのですよね。

そもそも病気は「表面化している現象」です。
肌がぴりぴりして剥がれるのはすごく気になる不快感ですが、
内側では身体が未消化のものを処理しようとして働いているのが原因。
それを無視して、目の前の不快だけ拒絶するのは「自然なことではない」

必要なのは原因を理解して、その上でできる対処をすること。
私の場合には、食生活を変えたことが改善に大きな影響をもたらしました。
病院のアレルギー判定では測定されなかったので、別の判断基準と自分の感覚を頼りにしています。

今現在の、欠点のある自分を受け入れてみる。
何かをダメと思って頑張ろうとする以前に、自分自身を改善しようと頑張りすぎない。
そういう考えにもうどこか繋がってくるものはある。
それはもう、実感として。

苦しんでいる本人的には「嫌だー!」って感じではあるのですが、ここから学ぶ事はたくさんあったなと思ったりします。

4.自分で選択する必要があること

与えられた食べ物だと健康になれない

ある意味私にとってはこれが最大だったかもしれません。
「自分で選択する必要があるということ」

アレルギー的な体質である場合、どうにも市販の食べ物を食べているだけだと自然に健康にはなりにくい。
調べれば調べるほどに、しっかりと症状が緩和した健康な状態に持っていき、キープすることが難しい。
添加物しかり、そもそも人の体が消化するのに向いていない食べものがかなり一般的に普及しているものにたくさんある。
そしてそれを調べる機会が訪れるまでは知らないと。

そんな中で、正しい知識を得て、自分の身体に起きる細い体調の変化をよく注意深く感じ取って、その上で自分がいいと思うものを食べていく。
言ってしまえば、自主的に選択する力がないといけなかったわけです。

人生の様々なこのタイミングの中で食生活は変化します。
例えば、小学校の頃はお弁当があったり、
両親が共働きだったら総菜が多かったりするかもしれない。
祖父母がご存命で同居していたら食事を作ってもらっていたかもしれませんね。

こうした時、ある程度の理解と協力をお互いに合意して進められる人じゃないといけない。
出されたものをそのまま食べてたら健康になれなかったわけですね。

これは食だけじゃなくて、きっと人生の色んな部分においても、自分で選ばないと満足できないタイプの方もいる。
明確にやりたいことはなくても、ある程度穏やかに暮らせばそれで幸せっていうタイプの方もいる。
どうしても自分でやりたいことがあって、やってやるぜみたいな人もいる。
私は後者にあたるので、やはり自主性を学ぶことが必要だったなと好意的解釈としては思っています。

タイトルとURLをコピーしました