何もしない人に対しての心の持ち方

ココロのコツ

同居している家族に、うつ病であったり引きこもりであったり、心の状態で不調に陥っている人がいたりする場合はあるかもしれません。
それはもう、本人のせいでも、誰のせいでもないことです。
けれど、家族などの見ている側の立場としては、もどかしいものがある。
そういった時には、どういった心持ちになったらいいかの案をひとつ、今回はお話しします。

大前提:他人は変えられないもの

まず、大前提として他人は変えられないものです。
相手にこうしてほしいといった要望はあるかもしれません。それを伝えることもできる。
でも、それを受け取るのかどうか。その上でどうするか。
どうするかの判断は全て相手のものです。
自由意思と言いますね。これは誰しも、お互いにあるものです。

あくまでこちらのできることは、自分の気持ちや意向を伝えること。
相手がどうするかは相手の問題、相手の選択。
それがまず大前提になります。

前提とは言いますけど、そこさえもピンと来てない人は山ほどいたりするように思えます。
なので、あくまで自分が楽になるための考え方です。

座敷童か何かと思っておく

座敷童とは、家に住み着いている、家に幸運をもたらす子供の妖怪のことです。
日本だとこの例えが一番ニュアンスが伝わりやすいのかなと思いました。

年金が入っている親である場合は、特に存在しているだけでお金が入ってくる。
そもそも年金のある世代の人って、今まで彼らは頑張ってきたからこそ、もらえているものがあるって考え方もできます。
そこまで生きてきただけでも十分立派なので、親が嫌いだったとしても、そこの部分は尊重して、もう生きてるだけでえらいとする。賞賛する。

もし、親と同居していて、年金が家計の助けになってもらっていたりする立場だったら、もう恵みの神様みたいな存在に思っておく。
めぐみの神様と言っても、すごく偉大な何かというニュアンスではなくて、
なんかこう…雨を降らせてくれる神様ぐらいの位置です。
なんか頼んでおいて、雨降ったらラッキーぐらいな。

依存もせず、頼り切りもせず、力を貸してくれたらラッキー。
もうそれぐらいの距離感です。
いい意味で適当に考える。

存在してるだけで生活できて、ありがとー!(アイドル風に)

日本では、八百万の神々。
あえての雑な言い方になりますが、どこにでも神様がその辺にいる。
そんな考え方がある国なので、結構そう考えやすいのかもしれません。

アイドルのコール&レスポンスの「みんな~応援してくれてありがとー!!」
みたいなノリで、雑に「生きててエライ!」と思っておく。

その上で、自分に余裕があったら、お供えでもしてあげるといいです。

別に本人に言わなくていい。思うだけでいい

これは本人に直接言わなくて大丈夫です。
こっちが勝手に思うだけ!

自分が快適に気分良く過ごすために、そういう考え方を採用するというだけです。
相手をどうこうしたいわけではない。

朝おはようと普通に挨拶する。
その時についでに「生きててエライ!」などと思っておく。それだけ。
雑でもいいし、本心から思ってなくていい。
頭の中の思考で、なんかそういう言葉を紡いでおく。

ただ、そういう風に思っていたことで…。
1.自分自身が不安や心配の空気感を出さなくなって。
2.生きてるだけでいいんだよ~みたいな空気感を相手が感じ取って。
3.結果的に、相手の調子が良くなるとか、そういうことはあるかもしれません。

でも、基本的には自分が気持ちよく過ごすことを優先するためです。

おわりに

不安な感情が、心配であろうと何であろうと、攻撃性がないものであっても、自分が快適に過ごせない心穏やかでいられない案件であることに変わりはない。
だからって相手を変えようとすればいいわけでもない。
伝えることが必要なこともあるけれど、まず先に、できるのは自分の考え方を変えること。

これは心の病気とまでいかずとも、自発的に動かないタイプの人に対しても有効な考え方です。
ちょっと面白い気持ちになるのでおすすめですよ。

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