相手の立ち場になるってどうすればわかるのか?

ココロのコツ

よく相手の立場になってみるとは言うけど、どういう感覚なのかイメージできないこともある。
イメージできれば、共感、理解、経験にもなる。
実際どういう感覚なのか分からないのを、あえてやることで実感することもできるかもしれません。今回はそんなお話です。

目線と立場のこと

相手の立場になってみると言っても、目線は同じでも、着目する点は各々違う。
そこを覚えておくと衝突が減ります。

山の頂上から見える景色はそこに行かなければ見れない。
でも、山の頂上から空を見たいのか、高山植物を見たいのかは本人の着眼点や興味の問題です。

結果的に、同じ場所から見ている景色は違うかもしれない。
これは営業とデザイナーでは職業目線で違う着眼点があるという話に近いものです。

それでも「山の頂上に行ったよー」という話はできます。
実は各々が違うものを見ていたということを本人たち同士で話すとまた楽しいと思うのです。

チャレンジ:やってもらったことを実際にやってみる

一番実感できる手は自分でもやってみること。
誰かにやってもらって、言ってもらって嬉しかったことを、自分も実際にやってみる。

やられて嫌だったことをやる場合は、ご利用は計画的に。
でもこれは対戦ゲームなどでは有効な手です。
相手の動き方を理解することで、うまく立ち回れるようになります。

自分の場合を考えてみると、たとえば何かの作品を味わった際に感想を送るとする。
その時に結構長め感想文をお送りすることができます。
フットワーク軽く一言二言でもお伝えすることができますが、これは自分がかつてそのようにしてもらえた経験があったのも理由にあります。

また、身近な友人のいいところは自然と自分もできるようになっていたり、自分の中での最低限の基準になっていることもある。
これは良い影響ですね。

面倒くさいので1回だけということにしておく(のがコツ)

自分の性分に合わないと思うのであれば、無理にやる必要はないのですが、妙に心に引っ掛かっている場合には1回だけやってみるっていうのがコツです。

1回やったらもうやらなくていい。
経験したのでオッケーとしちゃう。
これは何かしらの、いろんなことに対して「1回やってみてそれでOK」にするとハードルが下がります。

料理しない人から見た、手料理のありがたみをどのように実感するか

例えば料理。
家庭環境にもよりますが、子供は親に料理を作ってもらってそれを食べて行かしてもらっていた。
共働きだったりすると、買ってきたものやお惣菜だったりするかもしれませんが、もちろんそういう日があってもいい。
お惣菜もおいしいのたくさんありますね。

買ってきたものであったとしても、お皿に盛りつけてみたりする。
綺麗に出してくれていたなといった心遣いは後で思い返すとちゃんと感じ取っているのだと思います。

料理をしない人からすると、かなりお料理ってめんどくさいと思うこともある。
毎日必須のことではあるんだけど、日々2回から3回行うその都度手間をかけていくっていうことに対して、億劫になるというのも理由の一つかもしれない。
けれどそのありがたみも確かにある…。

遠足のお弁当を作ってみた

日帰り旅行に行く時にお弁当を作っていたんですね。
お弁当と言っても、おにぎりを一人2つぶんを用意するだけなのですが。
用意するときに、自然とどういう風にしたら相手が喜ぶかなって考えている自分に気付いたりするわけです。

おにぎりは玄米ご飯なのですが、片方は小豆入りの玄米ご飯にしたり。
せっかく旅行のお弁当だからとハンカチで包んでみようとしたり。

相手が「喜ぶかな~」と思ってやることって、結構相手の立場に立っているような気がします。

自分が子供の時お弁当を持たされた経験があると思いますが、こういう気持ちで作ってたのかなぁと。
負担といえばそうだけども、向こうも案外作る側としては楽しんでやってくれてたかもしれないなぁなんて思えたりする。

そう思うと、自分が苦手なことを相手にさせて心苦しいという気持ちは薄れていく。
このブログを書いている人は料理することを楽しいと思う方ではないので、こんなことでも発見があったりしました。
各々違うところで意外な発見はあるのかなと思います。

心遣いをより味わえる

また自分が別の視点に気づくことによって、相手の心遣いをより嬉しいものと思って味わうことができるようになる。

言葉にすることだけがコミュニケーションの全てではない。
言語で伝えられること以上に感じ取り、日々何かしらを受け取っているとは思いますが、意識的にそこに気付ける面もあります。

1対1の接客は心情が理解しやすいかも?

一対一の接客。
例えばイメージしやすいコンビニやスーパーのレジあたりが分かりやすいかもしれません。
一度両方の立場になってみると、寛容になったり、快適な立ち回りができるようになったりします。

自分がされてよかったこと、こうしてほしいことを反映できる

・お会計した後に「ありがとう」なり「どうも」なり言うだけでもちょっぴり気持ちよく過ごせる。
・レジがもたついていたとしても、まぁそういうことあるよねと寛容にもなれる。
・「お箸をつけますか」などの質問はオペレートとして教わるけれど、客側としては質問をいっぱいされるのがちょっと面倒くさい面もある。質問をするなら、ハイやうなずくで済むようにする。

コンビニ、スーパーあたりだと、丁寧で時間をかけたお買い物の接客というよりは、混雑時に迅速な対応が求められるポジションでもあります。
どういう風にしたら快適でスムーズかは、両方の立場になると理解してやれるようになる。
総じて、経験することによって快適な気分でいられる時間が増えるようになると思うように思います。

できてない相手を責める目線より、知っているからこそ寛容になれる心持ちだとGoodですね。

そこまで相手のことを考えたのか!という驚きと感動を味わう

前の例であるレジ対応はそんなにハイレベルな接客業というわけではないかもしれませんが、
(もちろん、どのような仕事であっても意識や動作で真摯に向き合って仕事することもできます)

ホテルなどの質の良いサービスを受けることもすごくいい刺激になると思います。

有名な参考例としては、リッツ・カールトンの接客がいいよという本があったりします。
ホスピタリティという語句で検索するもよしです。

相手の要求を先回りして気づく、提案するといったことが書いてある。
もうそこまで相手のことを考えたのかという、ここには驚きや感動があります。

知ることによって、自分自身が提供できるものや気づけるものに対しての上限が上がる。
自然とできる自分の立ち振舞いがレベルアップする。
普段から気遣いや立ち振る舞いの質が高い友人のそばにいたりすると、自分も自然とそういうことができるようになっていたりします。

おわりに

立場も経験も色々だからこそ、時には衝突もあるかもしれないけれど、面白かったり発見がある。
軽くでも、お互いの立場としての見方や経験があれば、多くのことを想像して、自分自身が心地よく過ごせる視点を選べるようになります。

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