「他人ために」が疲れたら観葉植物ごっこをしてみる?

ココロのコツ

大事な相手によろこんでもらうのをがんばりすぎる

大事な相手に喜んでもらうのはとても素敵なこと。
あるいは会社の人ぐらいの距離感で、それほど大事とかじゃなかったとしても、相手のことを尊重して頑張りすぎてしまう人って結構いるのかもしれない。

気を使って譲ったり、言いたいことが言えなかったりする。
喧嘩する以前に、意見がぶつかったり違ったりすることも、良くないことのように感じてしまったりする。

相手に対してがんばりすぎるって、そもそもどういうことだろう。

否定されるのが怖いという自己防衛だってある。
わざわざ衝突してエネルギーを使うくらいならと、黙ってしまうことだってある。

…そういうのがじわじわと溜まっていって、人と関わるのって面倒くさいなと思ってしまう。
そういうことってあるのかもしれない。

誰にでもがんばりすぎちゃう?

誰に対しても優しくするのは、本来はなかなか難しいことです。
でも誰にでも平等に接したい、礼儀を持ちたい、あるいは何かの不安があってか、信念か。
きっちりやろうとする人もいます。とてもすごいこと。

誰もが自分にとって、良くないことになる相手か、いい相手になるのかをすぐに見分けられるわけでもない。
今日と明日では気分やテンションだって違うから、不機嫌から好印象にコロッと変わることもある。
人っていつだって変わっていくもので、自分だって変わっていく。

とはいえ、そんなに簡単に割り切れる人ばかりでもない。
家族に対しては、できることなら何だってしたいけど、仕事はまあビジネスライクに、といった風に切り分けられるわけでもない。
なので、意識していなくても他人に振り回されてしまう部分って結構大きいものです。

時には観葉植物程度の明るさを

人間めんどくさいなぁ、疲れたなあという時には、たまには観葉植物程度の出力だけでもいいんじゃないかと思います。

行動や言葉として何かをしなくても、ただそこにいるだけで助かってることも案外結構あります。

雰囲気が明るくないといけないと思いがちですが、
無理した明るさは、眠る前に電気が煌々とついているようなもの。
「うわ眩しい!!」ってなっちゃう。
だからほどほどでも大丈夫。

そこで観葉植物。

・いるだけで空気がいい。
・目に優しい。
・何か特別しなくても、そこにあるだけでも何かいいね。

これくらいでもよいものなんじゃないかと。

特別意識してもらえないかもしれないけど、逆にそういった干渉や評価から一歩引いてみる。
そういう立ち位置に自分を置いて、時には落ち着いてみたりするのもいいんじゃないかと。
今は省エネモードで力を蓄えると思ってもいい。

ソファに寝っ転がってる猫のような気持ちになってみたりするのもいいですね。
「今の私は、ただの猫ですよー」
ちょっとそういう風に思って過ごしてみると、少し楽しかったりもする。

ねこですよろしくおねがいします。

おわりに

他人と接していてしまうダメージの種類は、あまりにも直接ぶつかり合うようなことじゃなくても豊富にある。
空気だけでもどことなくプレッシャーを感じたり、傷ついてしまったりとかそういう繊細な部分ってある。
だったら、何か役立つことをするにも、空気感染の要領で、いいことにしちゃう。
ちょっと色々面倒くさくなったら、一端放棄してみちゃってもいいかもしれない。自分の心のゆくままに。

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