ひきこもりを選んだ勇気を賞賛したい

ココロのコツ

今回はちょっと学生時代なんかを振り返って思ったことから。
学校は楽しかったか、そうじゃなかったか。それは人によって本当に様々でしょう。
最高に楽しい青春時代だった人もいる。
当時はあまり楽しくなかったけど、むしろ大人になってからの方がよっぽど自由になって楽しいという人もいる。
私はどちらかというと、大人になってからの方が楽しいなと感じているタイプです。

どちらもそれぞれいろんな思い出があることでしょう。
中には学校に行きたくないなと感じてしまっている人もいることでしょう。

けれど、ちょっと未来の目線から見て思うのです。
正直引きこもりをしてても別に将来困ってないよなと。

未来目線より。ひきこもったって別に困ってないです

もちろん、将来といっても何を選ぶかによっての影響は少なからずあるとは思います。
リアルタイムの中学高校での引きこもりで困ることの一例としては受験。
特定の大学を受けられないことによって、選択肢は狭まってしまう。そういう懸念はあるのかもしれません。

でも、リアルタイムで受けられるに越したことはないですが、大人になってから大学に編入することも十分できます。
そういう意味では後から「自分は本当はこれがやりたいんだ!」と思ってそちらの方に舵を切ることができるわけですね。

確かに失われた時間はあるかもしれないけど、その時にできなかった選択を成長してからだとより納得してできるようになる。
経済的な面もそうですし、自分の責任をもって選択することができるようになった状態なので、大人になってから大学や専門に入った人はリアルタイムの若者よりも、かなり学習意欲が高く、目的意識もしっかりしている傾向があります。
免許や専門知識の面で、大学を卒業したかがかなり影響する分野なら、確かに大きな影響はあるのかもしれません。
一方で、やりたいことの内容によっては必須ではないことも結構ある。

それに、学びたくなった時が一番その人にとって最も吸収の良い時です。
なので、引きこもりの理由が心身の弱りが原因である場合、追い立てるように何かしようとしてもうまく行きにくい。
別のやりたいことをやりたくて引きこもっているタイプだったら、むしろそれをやっておいた方がその人なりの専門分野に行けたりするかもしれない。
今は生き方も多様化しつつある時代なので、こういった考え方も前よりは受け入れられやすくなってきているのかなと思います。

勇気がある

そもそも引きこもりを選択できるということ自体、勇気があることです。
多くの場合、「学校が嫌だな」と思っても、親が怒るからとか、行かなきゃいけないと思って、結局嫌々ながら通っている。
そこをあえてノーと言える。自分の感じる「嫌だ」を突き通そうとする。
本当に勇気のある素晴らしいことだと思うんですよね。

実はガマンをすると後ですごく大きなツケが待っているので、その時はわからなくても、長い目で見て賢い選択になり得る。
むしろ大人になってから仕事に納得した選択をできないままを続けていくと、我慢の限界というストップが入る。
結局リフレッシュ期間という名の数ヶ月~数年なりの引きこもり期間を自主的にとることになると、結果的に見て時間は変わらないと思います。
早い方が我慢の量が少なくて、傷が浅いまであるかもしれない。

この話は親としての立場としては心配だったりするかもしれませんが、見方を変えていけば正直褒めてもいいくらいだと思ったりもするのです。
だいたい学校の制度や日本の教育が自主性を育むのにはイマイチだって散々言われていたりする。
それでもなお、学校に行くのがあるべき姿だと、具体的な理由もなく思いこんでいるのであれば…正しいようでいて偏った価値観の一つだとも言えるかもしれません。

当たり前を疑える知恵と力がある

引きこもりのすごく素敵だなぁと思うことのひとつには、当たり前だとされている価値観を疑える知識と知恵と力があるのだなあというところがあります。
常識を疑える。上等だと思いますね。

単純にしたくないから学校行かない!と選ぶ。
自分にとって不要と感じるものを一旦自分のまわりの範囲から除外して、その上で自分がいいぞと思えるものが何かを見つけていく。
ノイズの少ない時間をたっぷり味わえたらいいのかなと思います。

おわりに

引きこもりはシェルターに籠るという意味では、周りの人は戸惑って心配してしまうのかもしれません。
けれどその中身は自分のために時間を取ること。
やりたいことに打ち込んだり、本当はどうしたいのかをじっくり時間をかけて育んでいるのかもしれない。
そういう選択を選べたのであれば、それは本当に素敵なことだと思います。

タイトルとURLをコピーしました