今は自己肯定感が低いという言葉を非常によく目にします。
大体の人が、自己肯定感が低いと思っている……逆に自分は自己肯定バッチリだ!と言える人はなかなか見かけないかもしれませんね。
どうすれば自信を持てるのか? その方法論はたくさんあります。
その中で、どういったアドバイスや方法が刺さるかは本当に人それぞれだと思います。
なので、数多くあれど、このブログでもまたそういった内容に触れていきます。
育める自尊心とはどういうものか、今回はそんなお話です。
自己肯定感・自信がない人は多い
元々日本は褒めて伸ばす系ではない
そもそも、お国柄で日本では元々あまりの褒めて伸ばす傾向ではないですね。
外国の作品で会話シーンを見ると、何でそんなにビッグマウスで自信満々に言えるんだと思うこと多々あります。
例えば、他国の言葉を単語程度しか喋れなくても、らくがき程度の絵しか描けなくても、
「できる!」と欧米の人たちははっきりとイエスと言っていることもある。
これが日本人だったら、もっと高い水準でできていたとしても「そんなことないです」って言う。
この違いには、育った家庭レベルよりももっと大きく、文化的な考え方の違いというものがあります。
元々日本は調和を重んじる風潮があり、あまり出っ張るのが好まれないところもある。
また、日本では「罪の文化」より「恥の文化」。
「悪いからやってはいけない」のではなく、
「恥ずかしいからやっちゃいけない」という考え方をしている。
そのため、余計に恐縮して引っ込みがちですね。
SNSで比較対象がたくさんいる
これも、もはやこの時代になって仕方のない一面です。
SNSやインターネットで、手軽に様々なものをプロレベルのものまで目にすることができるようになりました。
そのぶん、学びの速度は著しく早くなったと思うのですが、比較対象がたくさんいる。
プロみたいな人がゴロゴロいる中で、はじめたばかりの人が表に出せるかといったら、ちょっとハードルは高く感じてしまうもの。
そもそもSNS自体が、広めよう・見せようとしてくる仕組みなので、どうしても目に入ってしまう。
それで比較して、落ち込んでしまうという流れになりやすいですね。
自信とは他人に左右されないものだといい
環境面から話していきましたが、実際ならどうやって自己肯定感を上げて行くのか。
そうなった時、他人に左右されるものに頼ってしまうと脆いのかなと感じます。
どうしても他のものが多く目につく世の中ではあるけれど、基準はやっぱり自分で持つ必要がある。
他はどうあれ、自分はこのようにできたよという考え方。
それは自分の内側や根っこの部分から、「よし!」とできることになる。
自信という言い方以外ですと、自尊心という言葉も近いかもしれません。
自尊心は育める
相手がどうだろうと、自分は相手にどう接するか
基本的に相手のことは操作できるものでもない。
相手がどう考えるかは、もうこっちからすればどうしようもできない。
相手の思想もそれぞれ。
であったとしても、自分が相手にどう接し、振る舞うかという目線を保つ。
自分がどうするかに注力すれば、相手が気に入らなくてもどうでもいい。心を穏やかに保つひとつの方法として。
自分がどう選択するかに意識を向けることで、相手が気に入らなくても、やばいミスをやってこようと気にするだけ無駄だなと思えてくる。
それぞれ問題への対応はするとしても、相手のことに必要以上に意識を向けて、自分の感情を複雑に揺らす必要はないと。
自分で決めたことができる、心に嘘をつかない自己信頼の力
自分が本当にやりたいことを軸にする。
他でもない自分が決めたことをやる。
それができなかったとき、人は本当に後悔をする。
だから自分の心に嘘をつかない。
自分に正直な選択を積み重ねていくと、自分自身に対して信頼関係を作ることができる。
人に対してだけじゃなくて、自分とのことを信頼できる。大丈夫だという目線。
これには、自分のことをわかっていないといけません。
自分自身が本当に望んでいないことをやってしまって、結構後悔したりする。
自分の本心に正直に生きていく上で、だんだんこういうことに気がついていくようになる。
そして自分自身に対する判断が正確になっていくことで、より自分との信頼関係を育みやすくなってきます。
おわりに
結局のところ、自分の軸を持つというのがひとつの対策になるのかなと思っております。
鋼の意志みたいなものじゃなく「悪口を言わない」など、自分で決めた約束事を守れる人は外から見ても何かいい輝きを放っているように感じます。
自分の心の内側で、ちょっと心地よく生きやすくなるためのもの。
そういうものを持っていたら素敵ですね。