他人を傷つけないように怯えすぎていた

ココロのコツ

自分が傷ついて、嫌われたくないだけではない

傷つきたくない、何か言われたらどうしよう。そういう恐れを抱く事ってあると思います。
中には自分が傷つきたくないというだけではなくて、自分が相手を傷つけてしまうのではないかと気にする人もいるかもしれません。
言葉が強かったり、ついカッとなっていってしまうタイプの人。あるいは、的確に指摘ができるんだけど、それがちょっと鋭すぎて相手を傷つけちゃってるかなーなんて思ったりする場合など。

相手を傷つけちゃうんじゃないかと気にするのは、頭の回転の速い人がそのように思ったりするのかもしれませんね。
言い方や配慮ができればそれに越したことはないけれど、でもそれでうまく喋れなくなってしまうこともある。
不満ばかりの話ではないけれど、言いたいことをうまく言えずにいるのはじわじわと我慢が溜まっていくものですね。

相手を信じて、人を傷つける覚悟を持つこと

相手を傷つけてしまうんではないかと思う気持ちの中には、もしかしたら相手に対しての信頼が足りないのではないかという目線もあります。

自分の言葉ぐらいで相手は傷つかないかもしれない。
そんなに弱い相手ばかりではない。
たとえ一時的にショックを受けたとしても、必ずしも傷つける意図で話しているわけではない。それは伝わるかもしれないし、伝わらないかもしれない。

そういう意味でも、そもそも相手がどのように判断して、どう感じるか。それはもう自分の預かり知るところではないわけです。
だったら、相手を信じることで、時に人を傷つける覚悟を持つこともありなのではないかとも思います。

実のところ、みんな本当に優しい人が多いのです。
その優しさの種類もさまざまですが、傷つけないために余計なことを言わない優しさにしている場合はかなり多い気はする。
言いたいことを飲み込んでしまう。
それを優しさとしている人も結構いるような気もする。

傷つけてしまうかも、と思っていることの内容には、時に停滞した状況を動かすための応援の言葉があったりもする。
自分が我慢をやめることで、自分と周りの相手とをもっと心地よくできる。
本当に伝えるべきを伝えることは、相手と自分への信頼にも繋がります。

おわりに

アドラー心理学の「人に嫌われる勇気」というキャッチコピーがとてもインパクトがあり、有名だと思います
ある意味、傷つけることを怖がることも、傷つけられることを怖がることも、本質としては近いのかもしれません。
他人が自分を映す鏡だとすれば、そういう意味では同じものなのかもしれない。

タイトルとURLをコピーしました