食べる時の欠乏感・食事の精神効果について

セルフケア

食事とは生きていく上で必要不可欠な行為であり、楽しみでもあり、好みもそれぞれたくさんある。
当たり前のことだけどすごく奥深いものです。
そして、「食べたい」と思うけど、本当はお腹じゃなくて「頭で」食べたいと思っているだけのこともよくある。
腹を満たすばかりが食事ではない。
今回はそんな食事と関連した心境についてのお話です。

安心感と罪悪感

腹を満たすことで安心感を得られる。リラックスして、おいしくて、ほっとする。
結果お腹が空いているからではなく、食べることに依存して、食べ過ぎてしまうこともあります。

何かと罪悪感を抱きがちな人もいるかもしれません。
食べる時に、こういった細かいことで罪悪感を抱きやすい行為でもある。

・食べ過ぎてしまった
・添加物の入ったものをめっちゃ食べてしまった
・夜中に食べてしまった
・アルコールや甘い物を摂りすぎてしまった

罪悪感は根拠のない自責ばかりで本当にあまりいいことがない感情だと思うので、できれば抱かずにいたいところ。
食事をすることが日常の必須行為にも関わっている前提ある。
改めて、ここに罪悪感を持ってしまうと、非常にしんどいことになるなと思うわけです。

休憩・緩める効果

食事は単純にお腹を満たすだけではない。
休息であったり、食事を摂ることでほっと一息、頭を緩めるような効果があったりもします。

このブログを書いている人も作業の休憩としてちょっと軽いものを食べるということをよくします。
そういう時の食事には休憩の意味もあるわけですね。
特にデスクワークで体はそんなに動かさず頭をとにかく使っているという時は、頭で食べたくなる感覚になるのでしょう。

もちろん、それ自体が悪いというわけではなく、何事もバランスなのかなとは思います。
お腹としては全然空いてないけど、何か食べたい。
まず自分の感覚として、自覚をするのが一歩。
自覚した上で休憩として食べるなら食べるでよし。お腹自体はさほど空いていないからと、量のコントロールができればよりよしです。

ちなみに食事の量は、少食な人とたくさん食べられる人がいると思います。
たくさん食べる方がいいことだという価値観がまだあるのかもしれませんが、少食の方が燃費は良いですね。
どちらが良い悪いというのは、ちょっと一概には言えないところです。
健康と食に関してはまだまだ研究が続いていると思うので、今後さらに何年も経っていく上で、より情報が更新されていくことになるのかなーとは思っています。
ご年配の世代を見ていても、和の粗食からボリュームある洋食、そして現在とかなり変容しています。
10年くらい経てば、常食するものや健康の常識ってひっくり返るかもしれないので、変化がちょっと楽しみですね。

満足感と欠乏感

食事に対して、欠乏感を感じるという感覚も明確にあったりします。

・食べても量としては余裕で足りているはずなのに、なんかこう満足しない。
・量やカロリー的には同じだけ食べているのに全然満足しない感じがする。
・繰り返し何回も食べていて、それでもまだお腹が空く。

そういう具合です。
満腹中枢が壊れてるなーと思ったり、欠乏感がすごくあると感じたりする瞬間です。

単純に量が少ないのか、消化のいいものばかり食べてしまっているからなのか。
その量や内容、食べる人の身体の事情によっても大いに変わってはくるとは思います。
物理的に考えて、ガッツリステーキ食べたら消化に時間がかかるはずなので。

一例として、精神的な欠乏感がそのまま食にも影響していることもある。
その可能性は否定できない。
もしかしたら、自分でも漠然とでも思い当たるところがあるかもしれませんね。

だから、食べ過ぎてしまうといったことで悩んでいる人は、「食べちゃいけない」と自分に禁止・抑圧をしてより責めてしまうのは避けていきたい。
まずは食べちゃう自分も許すところから自責と罪悪感の負担を減らす。
次に「食べ物を何かの代償にしているなら、それが何なのか」を探ってみたりするといい。

多分、食欲そのものが原因ではない。
何かしらの原因があって発生した欠乏感だったりする。

是非何が欠けてると思っているのか、ノートにでも書き出してみるのがオススメです。
頭でだけ考えるとぐるぐると目に見えないので、目に見える形で書く。
もし糸口を見つけることができたなら、自分で解決のための行動が取れちゃいます。
そして、これからも長く回数続く食事タイムをより楽しい時間にしていきたいですね。

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