読書感想文の取り組みへの工夫はできないか

ライフハック

あまりいい思い出としての話を聞かない読書感想文の話。
読書感想文の制度自体が悪いとは思わないのですけど、それをするメリットを説明してくれずにただ課題として渡されるから嫌々になってしまうこともあるでしょうか。

私がその読書感想文をやった小学校高学年ぐらいの頃の記憶としても、文章を書くことと読書自体が嫌いではなかったのです。が、
課題図書が興味を惹かれるものではなく、なので特に感想文として碌に書けず、
結局提出の前日の夜にも泣きながら背後で若干イライラしている親が言ったことをそのまま書くという形で提出したという記憶があります。意図せずゴーストライターです。
感想文はこの有様でしたけど、文章を書くこと自体は昔も今も嫌いではないのが救いであります。

読書感想文を書くことでどういうことを養いたいのか、目的の部分は全く説明されなかったなぁと思い出しながら、いろいろな感性の子たちがいるなかで、読書感想文はどうしたらもっと実りある機会になれるだろうかを考えていきます。

読書感想文によるメリット

読書をする経験になる

ストレートに普段読まないタイプの本を読む機会でもあります。
気持ちを切り替えたり、物語の中では1時間で読める速度で誰かの一生が語られたりする、そんな密度の濃い経験ができるのも読書のいいところです。

本を読むこと自体が何かしらの経験や感情につながるのでメリットがあるよという考えですね。

文章化・感情のアウトプット

文章を書くことは、小説やレポートのようにしっかりした文章じゃなくても自分の考えを吐き出す意味では身近なセルフケアになります。
その場合なら自分の気持ちのモヤモヤを人に読まれる字じゃなくていい、もっと言えば自分も後で読み返す必要もないくらいグシャッと書き捨てたっていいわけです。

日記を書くことに対してすらハードルを感じてる人も結構いるようで、それは継続することもね含めてなのでしょう。
文章を書くことの有意義な部分はあるので、読書感想文によって文章を書くことに苦手意識を持って選択肢を省いてしまうことになるのはちょっともったいないところです。

読書感想文によるデメリット

課題図書への興味が薄い

その本との出会い方があくまで「課題図書」なので、余程能動的に出会ったすべてを楽しもうとする気質の持ち主でなければ自分が選んだわけではない本への魅力は薄く感じてしまう。

もちろん、興味が惹かれなかったけど読んでみたら面白いということもあるかもしれない。
けれど興味関心の薄いまま読んでも「登場人物の〇〇さんは偉いと思いました」ぐらいしか言うことがないといった苦しさに繋がることもある。

人によってどちらかというと小説より論文の方が好きだとか、関心の方向性には個人差があるところ。興味が持てる題材であるかは本人の選択とは別にあるところが難点です。

原稿用紙が書きにくい/敷居が高い

今の時代どうかがちょっと分からないですが、もしかしてまだアナログの400字詰め原稿用紙を使用しているのでしょうか。
もしかしたらワープロで打ってもいいことになっているのかもしれない。なっていてほしい。
ただ大学レポートでよくあるようにウィキペディアからコピペしてくる可能性がある点では禁止してるかもしれないですね。

この「原稿用紙を使用する」ということがかなりハードルが高いと思うんですよね。

・書式がある
・文章の入れ替えなどの修正がしにくい
・最初から書かなければならない

一字下げる、「鍵括弧」などの記入の書式はまぁいいとして、
必ず最初から書かなきゃいけない制約が生まれるところがすごくやりにくい。
白紙から、最初の出だしを書くっていうのはすごくハードルが高いと思うんですよね。
そこでつまずいちゃうケースはかなりあるんじゃないかと。

私自身、ブログや小説を書くときは最初から書かず、書きたいところから書いていくっていう方式を取っています。
話の長さによりますが、話のおおまかな流れであるプロットを先に書くこともある。本番の原稿用紙に書く前にメモに書くべき流れを記入してから書きはじめたらきっとスムーズだとは思いますが、少なくとも私は学校でそういうテクニックは教わりませんでした。

また、400字詰め原稿用紙はアナログの紙の文房具なので、修正したくても文を切り貼りして入れ替えたりできない。書き直すのが面倒だったら落ちたモチベーションのまま最後までダラダラ字数を稼ぐ勝負にシフトしてしまいます。

文字数を確認するには400字詰め原稿用紙の方がわかりやすくていいのですけど、せめてマス目の原稿用紙じゃなくて縦線を引いてある紙でいいからそちらにしてくれた方がまだ書きやすくはなるように思えますね。

趣旨とメリットが分からないまま課題だけ押し付けられた結果、苦手意識を持ってしまう

一過性で課題面倒だったわーで済むならまだいい方。
一番もったいないと思うのは、こういった読書感想文の記憶で文章を書くのが苦手だと感じてしまう子供が結構いたんじゃないかなというところ。

私も実際に読書感想文はなかなかの有様で、ちょっとしたきっかけで小説を書いてみた時に「思ってたより書けるな」と感じた経験がなければ、自分が文章を書くという行為に関しては全く手をつけなかったと思うのですよね。

実際人と話していて、「文章を書けるのはすごいね、私は全然書けない」と口にする人が一定数いました。
そういう人たちは文章を書くのが楽しいっていう経験を得たことがない…読書感想文の課題はまずやったことがあるとして、それに対して楽しさなりポジティブに得たものがあまりなかったんじゃないかと感じてしまいます。

打開策

読書感想文を書く趣旨とメリットを説明する

読書感想文を書くことに対して有意義なことは考えてみればいくつか挙げられると思うんですよね。
ただ読書感想文することでどういうよさがあるのかを考えてみようと伝えてくれたらそれだけで変わる部分はあるでしょう。

本を読むこと自体にメリットがあり、それを自分の言葉で咀嚼してアウトプットするっていうのもいい。
その本自体が気に入れば良い本に巡り会えたってことにもなる。
読書感想文コンクールに提出した結果、賞と図書カードがもらえるなんてささやかな成功体験があるかもしれない。

これに限らずメリットをちゃんと説明しているのであれば、そのうえで生徒がどう取り組むかの話になってきます。いきなり課題だけ渡されてもモチベーションは低いのは致し方ないでしょう。

課題図書を面白そうに紹介する

課題図書自体に「これは読んだら面白そう」と思わせる。
感想を書く上であまりネタバレはよくないですが、あらすじは課題図書一覧と共にもらえることもあるとしたら
「こういう人にはこの本がオススメ」みたいなのもあったら選びやすそうです。

先生自身が読んで説明する、だと先生も時間の限られた一人の人間ですので…こういう時に学校全体のネットワークや協力体制があったら有効活用できそうだなぁと思ってしまうところ。

自由枠を設ける

どうしても、どーしても興味が持てないなら好きな本を選んでいいことにする。
いきなり自由枠を選ぶのではなく、課題図書を読んだ上で感想文は自由枠を選べるようにするなどの工夫は必要ですが、興味が持てないまま悪印象を残すよりはその方が教育としては健全なように思えます。

ただこれは課題図書が学校外のコンクールに提出されるものである場合、選ばれた理由は学校側だけの一存ではない話になるので…ちょっと課題を出す側としてもじゃあなんでもいいよとするわけにはいかないのかもしれません。

おわりに

課題の制度自体を変えるのは一人の判断でできることではなく、この記事を書いたからって制度自体を変えたいだなんて思うこともないですが。
読書感想文をすることの理由やメリット・趣旨を説明することは教師の工夫か、コンクール主催側でもできることだとは思います。

ある意味文章を書くのが楽しいと思えるきっかけの一つになってくれるかもしれないので、どうせ実施するならばできるだけよい機会として生かせればいいですね。

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