無意識の自分への嘘がわかりにくい

ココロのコツ

人の心とは巧妙なもので、時に自分に対してでも気づかないうちに嘘をついてしまうことだってある。なかなか不思議なものです。
あるいは、心の働きとして、できるだけダメージを軽減するようになっていたりもする。
時に、それに助けられたり、逆にちょっと振り回されてしまったりすることだってある。なかなか面白いものです。
今回はそんな無意識と衝動のお話です。

本心が社会的に理にかなっているとは限らない

自分がやりたいと思うこと、口に出してはいない本当の事。
それらは必ずしも社会の役に立つことばかりではない。
それどころか、この社会にとっての倫理観やルールに則っていることではない場合さえあるかもしれない。
そうした時に、真面目な方だと葛藤が生じるのかもしれません。

「こんなことどう思われるかな」
「やりたいけど、これはお金にならないからなー」
「あまり誰かの役に立つことではないから…」

などと考えて、時にやることさえ諦める場合もある。

うまく活用しようと捻じ曲げてしまう

それでもやろうとする場合、人によってどう選択するかは変わってくるかもしれませんが、
中には折衷案として、うまいことを活用しようと調整を図る人っていうのもいらっしゃるかもしれません。
一部ちょっと変更したり、出し方を変えたりすれば、もっと活用ができるんじゃないかと。

メリットもあるし、人のためにもなるし、収入にもなるしで、
トータルで見て丸く収まっているような形に調整しようとする。
頭でいい案だと思って、それでいいことにしてしまう。

フレッシュな気持ちごと蓋をしがち

まず、それができる人っていうのは非常には賢いと思います。
ただ一方で、そのやりたい!と思ったそのままの形がねじ曲げられてしまって、フレッシュな部分が減るのかもしれない。

また、その調整した部分に対して、本来望んでいる形とは違う、本心としてはしっくりこないと感じている場合は、ちょっともったいないことになるのかもしれない。
やっていてもなんだか楽しさが若干減っていたり、核となる純粋なものではなくなっている。
社会や利益、メリット一目いろんな面から考えて、社会性や他者にすり合わせた結果、そういうことはあるのかもしれない。

時には思いついた、そのままに

調整できること自体が本当に賢く、周りもよく見れていることだと思います。
調整したことで、そのまま即座に行ったら100%の満足度だったところが、76%ぐらいに落ちるなぁと感じるのであれば、損得も人目も気にせず、思いついたテンションそのままの形でやってみるようにしてみてもいいのかもしれない。
馬鹿らしくて、子供みたいで、ものすごくふざけているようなことは、実はすごく大事だったりする。
時には自分の心の感じ方に正直に、やりたいことを進めていく。すぐにできたら素敵ですね。

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