瞑想は選択せずに手放す

瞑想

瞑想を続けることができなかった方の中には、何の効果があったのかがイマイチ実感できないというのもあったりするのかもしれません。
何もしていないような時間に感じるし、確かに休憩ではあるけれどどうなんだ…?と。

瞑想をしている間、何もしていないように感じるその時間に、自分の中にたまっていた様々なものを解放していくというメリットがあります。
認識できない。でもよくわからないけど良くなっている。スッキリしている。
今回は瞑想中に無意識のうちで解放されるもののお話です。

溜まったものの解放

ある程度手法にも左右されるのかもしれませんが、瞑想をすると、表面的な水面の波(感情や悩み、思考など)がざわざわとしている…そういったものを一旦収めて、心を落ち着かせます。

水面の波は激しく動いているけれど、水面下にも水はあり、水中は穏やかなものです。
そして見えないし、静かに底に沈んでいるけれど、何か溜まったものはある。
生きてきた分だけ、過去の思い出や、感情、価値観などがあります。

この溜まったものを解放する効果もあるのが瞑想です。
溜まったものを「カルマ」という呼び方をするところもありますね。

本人としては何が解放されたかはわからない…でもわかる時も実はある。
ここは個人個人のケースバイケースです。
非常に感覚的なものになりますが、「なんとなく今、あの時のあれが抜けていったな」「これはあの時の出来事だ」となんとなく直感することもあります。

何が解放されたかはわからない

基本的には解放されたものや自分の中で深いところで起きた変化が何であるかを意識的に説明することは難しい。
それが具体的に何であったかに対して興味のある人もいるかもしれませんが、あえて掘り起こそうとしなくていいという場合もだってもちろんある。

知らない間に悪いことが起きにくくなる

瞑想をしていく利点として、知らない間に悪いことが起きにくくなるというものもあります。

カルマと言われる、因果のようなもの、自分の思考や考え方、そういったもので蒔かれた種がは良くも悪くもいつかは表面化して芽吹きます。
現実的に起こっている問題が、元々考え方や感情に起因する。感情が先と言われるのはこういうところも同様です。

あるいは、心が落ち着いて冷静になったことで、純粋に焦ってパニックになって変な判断をしなくて済むという面もあります。

そして、それらは無意識的に行われていて、実感として未然に防がれているので、目に見えた効果として非常にわかりにくいという面もまたあるのだと思います。

おわりに:おまかせの気持ちで進める

瞑想をしていて、その時その時にどんな変化があるかは、本当その時になってみないとわからない。
基本的にはおまかせの気持ちで進めていくのが楽です。船にゆらゆら乗って、操縦はまかせるようなイメージです。

意識的に「こういう効果が起きたらいいな」と期待してしまったり、自分の意志で定めて進めていこうとする方も中にはいるかもしれません。
ですが瞑想においては、自分の意思を手放して流れに任せてみることを経験して味わってみるとするのも、またひとつ興味深い経験になるかもしれませんね。

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