【断捨離】片づけの精度が上がってくる話

片づけ・断捨離

断捨離・片付けをやっていて、物が多ければ多いほどなかなか終わらない。そう感じてしまうのは致し方ないことです。
元々物がそんなに多くなくても、実はよく見てみると後から後から出てくるものです。
そのことに対して途方に暮れるのではなくて、どんどん精度が上がってきて身軽に動けたり、幸せセンサーの感度がよくなったのだと喜んでいきたい。今回はそんなお話です。

一度片づけ終わっても、もう一巡見てみるとまだまだ出てくる

このブログを書いている人は、一度自分の居住エリアをしっかり見直して、その時の感覚でぴったりくるまで片づけを行ったことがあります。

一通り 自分の机の周辺、キッチン、水回り、クローゼットなどなど…それぞれの場所を分類別にして、全部のエリアを片付けたぞというところまでやってみた。
物が随分と減って、さらにそこからもう一度見ると――まだ色々見つかるわけですね。
「まだあった!」「なんで初回でこれ見つけられなかったのか?」
片付けをした方にはそういう経験があるのかもしれません。

私がやった中で印象的だったのは、洗面台にあったハサミのことですね。
大家族でもないのであまりハサミは複数必要にはならない。場所ごとに置いておかなくてもいいなと思っています。
ただ、当時ハサミを置いた人はその方が便利だと思った。そこは感覚の違いですね。
けれど、一回片付けだと思って確認したその時にはまったく目に入っていなかったわけです。

そんな風に、そこにある・確かに存在するはずなのに、目に入らず、認知していない時があるということを覚えておく。

人間の認知には不思議な感覚さえするのですが、それはもうミスでもなんでもなく、そういうものとしておく。
自分が片付けたことによって更に見えるようになってきた。
だから、「また出てきた!」と思うかもしれないけれど、これは着実な進歩です。

迷ったら一端別のところをやってから判断するのがいい時もある

逆に片付けがあまりはかどらないという人にとっての方法について。
手放すかどうかを迷ったら、迷い続けないで、一旦他の所に行くのがいい場合もある。
判断がしにくくて時間が長くかかってしまうくらいだったら、一旦そこは置いといて、別のところに着手する。

確かに片付けをするのは目的ですが、何でもかんでも捨てたいわけではないわけです。
その中には大事なものだってあった。
断捨離や片付けとは、お別れ会のようなものであったりもする。
そして、それはかつての自分が選んだ、自分の一部を構成していたものなのだから。
(他者からもらった物は自分で選んでいなかったとしても、それを持っておくと決めたのは自分なので)
そういう意味で、「物と向き合う」というのはすごく意味のあること。

片付けがある程度進んでから、もう一度見直すことで「さっきまでは悩んでいたけど、もうこれは手放せる」といった具合に基準が変わって、より片付けが進んでいくっていうケースがあります。

実家クラスだと10年単位で使っていないものが平気で出てくるので見直しを

一人暮らしのワンルームなどの新居とは異なり、親世代、さらに祖父母の世代などが暮らしていた実家のクラスになると、かなり大量に思い出のものが溜まっています。
10年単位で使っていないものなんて、平気で出てきますね。

なので、しっかり見直してみるとそれだけでちょっと笑える発見があったりします。
10年以上経ってるバンソウコウとか、もういらんでしょ!ってなる。
こんなもの出てきたよ~と笑い話にでもできたらなおのこと楽しい。
これは本当に使うのだろうかと見直してみるのもおすすめです。

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