【断捨離】片づけを進めて気づいたこと・停滞編

片づけ・断捨離

腐った水の臭い:物は匂わないから気づかないだけ

最近、植木鉢の花をいただく機会がありました。
これは片づけの記事なので、植木鉢自体が捨てる対象とかそういう話ではないのですが…。
この花は根っこから水を吸うのではなく、ラッパ状になったところから水を吸うという特性があり、お水を注いで、しばらく置いておくことになる。
時間が経つと、真夏だと溜まった水が腐って臭いがすごいことになるわけですね。
植木鉢の受け皿に流れた水でも放って置いたらすごい臭いになりますね。

よく言われる言葉として、「水は流れているから腐らない」
停滞すると腐ってしまうということ。

これを物品に置き換えて考える。
物は食べ物と違って賞味期限もなく、腐ったりしないから臭わない。
だから気がつかないだけで、実はもう長年放置された不要で大事にされていない物であれば、腐った水の匂いを発している…なんて存在も数多くあるのかもしれません。

物は思い出を吸い取っている

物ってそれに付随して思い出があるものです。
ボールペンなど利便性重視の事務用品はあくまで便利に使うものであるとして、
お土産として買った物や、子供の頃もらったもの、このカップは両親が使っていたお揃いのカップ――そういうものたちは全て思い出とセットになってます。

その思い出がいいものであるならば、もちろん残しておけば大事なものとして心地よくいられる。
けれど自分にとってそれが辛いことを思い出してしまうのであれば、活用できるものであったとしても、手放してもいい頃なのかもしれません。

人生の節目や遺品整理、失恋や離婚などで、物をどんどん手放していたりするのも、これからの流れをキレイにする意味は大きいでしょう。

「これ以上いいものがなかなか手に入らない」から残している場合も

意外となんとなく残してあるものの中には、すごく高いものではないけど、なんかちょっと素敵なものっていっぱいあります。
おしゃれな紅茶の箱などは入れ物にも使えます。なんとなく可愛いから紙袋を取ってあったりするかもしれませんね。
ハンドメイドの素材としてうまく切り取って使いたい、ブックカバーにリメイクする。
そういう場合は活用しているので素敵です。

ですが、また買えばいいのにそれをわざわざ取ってあることで、
もしかしたらお金のブロックになってしまっているかもしれない。
自分はこの紅茶の箱を新しく買うほどお金もないと。
「素敵だから取っておく」から、「すごくテンションが上がるわけじゃないけど手放しがたくて」に変わってきたら、ちょっと気持ちの鮮度が落ちているかもしれません。

捨てる時に人の顔を伺ってしまう

いい感じに捨てるべきものが出て、袋に入れた段階でも結構すっきりするものです。
次はゴミの日に出すという段階になりますが、その際に人の顔を伺ってしまう方もいるのかもしれません。

同居人であったり、近所の人であったり。
中身を見られたら嫌だな、と不安になったり、干渉されたくない気持ちになったり。

自分が手放そうとしている物に対して、
(他人のものを勝手に手を出したならそれはNGですが)
どうこう言ってくるのは、他人の自由意思への過干渉に思えても仕方がないところです。

本来なら、堂々と手放していいわけです。
自分が決めたことに、相手がケチをつけてくるかもという恐れなのか?
顔色を伺ってしまう自分に気づいたら、「何故相手の顔色を伺ってしまうんだろう」と改めてノートに向かって自分に問い直してみるというのも一つおすすめです。

タイトルとURLをコピーしました